大判例

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東京高等裁判所 昭和44年(ネ)1900号 判決

控訴人

宮崎栄

代理人

長谷岳

被控訴人

竹内己之吉

外一名

代理人

大阪忠義

外一名

主文

本件控訴を却下する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人(原審被告)は、「原判決を取消す。被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人ら(原審原告ら)は主文同旨の判決を求めた。

控訴人は訴訟行為追完の事由として次のように述べた。

原判決は昭和四四年三月三一日言渡しがあり、控訴人に対する判決正本の送達は同年四月二八日市川市平田町一丁目一九番九号に宛てて行なわれ、その送達調書によれば受送達者不在につき事理を弁識する母宮崎ひさに渡したというのであつて、同人の記名捺印が表示されている。しかし控訴人は久しい以前から市川市市川一丁目二番六号登美荘に居住していて、右平田町一丁目一九番九号には住んでいない。しかも宮崎ひさは脳軟化症をわずらい、事理の弁識能力がないため、判決正本を控訴人に交付することなく過ごし、控訴人は同年八月五日に至つて漸く原判決が言渡された事実を知つた。かように控訴人はその責に帰すべからざる事由により控訴期間を遵守できなかつたのであるが、その事由の止んだ日から一週間以内である同年八月八日に本件控訴を提起した次第で、控訴の提起は適法である。

立証《省略》

理由

職権をもつて調査するに、原判決正本の控訴人に対する送達を証明する文書としては、千葉地方裁判所執行官の送達証書が原審記録に編綴されており、これによれば送達の日は昭和四四年四月二八日で、控訴人主張のとおり宮崎ひさが補充送達をうけたことが明らかである。そうして、当審の控訴人本人尋問の結果その他原審および当審の記録によれば、以下の事実を認めることができる。

控訴人は昭和三八年一月一二日宮崎ひさと養子縁組をし、市川市平田町二丁目一五〇番地(その後表示変更により同町一丁目一九番九号)の同人の住居のうしろ側にある同番地所在建物に入居したが、同年一一月八日渡辺みどりと同棲のため同市市川町五丁目一、〇八一番地登美荘(表示変更により市川一丁目二番六号)に転居した。昭和四一年四月二〇日被控訴人らが本訴を提起し、訴状には住所として平田町二丁目一五〇番地(控訴人の登記簿上の住所も同所である。)を表示してあつたので、訴状副本は同所宛郵便で送達され、同月五月三日原審相被告宮崎ひさが控訴人の副本を受領し(送達報告書の記載では控訴人本人の受領になつている。)、その頃これを控訴人に手渡した。控訴人は同年五月二三日付答弁書および期日変更申請書を作成(双方とも住所の表示はない。なお答弁書には請求の趣旨に対する答弁だけが記載されている。)して原審に提出し、なおその頃宮崎ひさに対し、訴訟関係書類の送達があれば登美荘に回送するよう依頼した。控訴人は同年九月一〇日から市川市菅野町所在仁愛会病院に入院したが、同年一〇月二七日および一二月三日にそれぞれ次回口頭弁論期日(第四、第五回期日)の呼出状が右病院で控訴人に送達された(控訴人本人は送達をうけたことはないと供述するが信用できない。また病院へ送達があつたのは宮崎ひさが郵便局員に連絡して回送したためと推測される)。この間同年一〇月三〇日控訴人は次回期日出頭不能の上申書を原審に提出、それには控訴人の住所として平田町二丁目一五〇番地と記載した。その後昭和四二年三月六日の第八回口頭弁論期日から昭和四四年三月二八日の第二一回判決言渡期日までの控訴人に対する期日呼出状は、すべて郵便により平田町二丁目一五〇番地(第一八日以後は一丁目一九番九号)に送達され、その各送達報告書によれば、このうち宮崎ひさが補充送達をうけたのは三回で、その余の一〇回はすべて控訴人本人が受領しているが、本人としての受領印は五種類以上にわかれ、同じ日に送達されている相被告宮崎ひさの呼出状の送達報告書にある本人の受領印と同一のものが多いことからみると控訴人本人がこのうち果してどれだけを自ら受領したのかは判然としない。そうして控訴人は二一回におよぶ口頭弁論期日中出頭は第三回期日のみで、あとは悉く不出頭であり、登美荘が現住所である旨を原審に報告した事実もなく、かえつて、訴訟の拘束から逃れることを念願するという心理状態で終始した。

以上の事実が認められる。

右の事実によれば、原審が住所を市川市平田町一丁目一九番九号と表示して控訴人に判決正本を送達したことは、送達の場所の点では瑕疵はなくしかも控訴人が代理受領を委任したとみるべき宮崎ひさが補充送達をうけたのであるから、送達は適法といわなければならない。宮崎ひさが事理を弁識しない者であるとの控訴人主張事実は、同人が当裁判所へ提出した上申書の記載内容に照らせばとうてい肯認することを得ない。従つて控訴期間は昭和四四年四月二九日に進行を始めたのであるが、本件控訴状の受付印によれば控訴の提起は同年八月八日であつて、法定期間を経過していることはいうまでもない。そうして右控訴提起の懈怠は、直接には、宮崎ひさの無関心または怠慢に因るのであろうが、根本的には控訴人が訴訟の進行状況に注意を払わず、宮崎ひさと緊密な連絡もとらず、住所の相違を原審に届出ることもせず、要するに訴訟の解決についてなんら適切な方法を講ずることなく拱手していたことの結果にほかならないから、期間の不遵守をもつて控訴人の責に帰すべからざる事由によるものと認めることはできない。

よつて本件控訴の追完は許すべきでなく、控訴は不適法であるからこれを却下することとし、民事訴訟法第三八三条、第八九条により、主文のとおり判決する。(近藤完爾 田島重徳 吉江清景)

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